「闘病」というと、字のごとく、病気と闘うような気がしますが、
結局は、自分との闘いだったと思います。
病気になった人が弱いとか、そういうことを言うつもりはまったくありませんが、
闘病というのは、弱い自分との闘いかな?と思ったりします。
病気になった最初の頃は、
病気になったら、病院に行く。
病気になったら、薬を飲む。
病気はお医者さんが治してくれる。
これが、当たり前だと思っていましたから、
私がやるべきことは、腕の良い医者を探すことだと思っていました。
でも、それは、違うんですよね。
お医者さんや薬の力を借りながら、
自分で自分の病気と闘っていく。
それが、闘病です。
それに気づくことができれば、治るのは早いと思います。
私の読者の方は若い方が多いので、まだ数年の闘病生活だと思いますが、
本気で闘病して下さい。
本気で病気と向き合えば、
必ず、何か見えてくると思います。
そうやって、少しずつ何かを掴んでいけば、
パニック発作は怖くなくなってきますし、
予期不安も少なくなって、
いつのまにか、パニック発作のことを忘れてしまうでしょう。
1日5分でもかまいません。
本気で病気と向き合いましょう。
先日、Twitterで、
『病気を悲観的に考える必要はありません。
私もずいぶん悲観して、もう死ぬしかない…などと思っていましたから、
悲観する気持ちはわかります。
でも、要は、考え方なんです。
発想の転換。
同じ事象でも、認知の仕方で現実って変わるんです。
発想の転換です☆』
とツイートしたら、
『治ったから言えるんじゃ?』
というコメントを頂きました。
確かにそうです。
治ったから言える。
ただ、それだけではありません。
私も闘病中、たくさんの方から助言やアドバイスを頂きましたが、
「病気になったことがないから言えるんじゃないか?」
「自分は元気だから言えるんだろう」
「そんなこと言うなら、このパニック障害を経験してみればいい!」
「どうせ、このパニック発作の怖さがわからないでしょ!」
などと思っていました。
そして、どんどん孤独に陥っていきました。
ツイートでも書いてありますが、
私も経験者ですから、
悲観する気持ちはわかります。
パニック発作は本当に怖ろしいですし、
予期不安も厄介です。
外出もななまらず、
このまま人生どうなってしまうんだろう・・・。
不安で不安で仕方ありませんでした。
もう死ぬしかない・・・。
何度も何度も、そう思いました。
でも、
『発想の転換』
なんです。
考え方を変えるしかないんです。
そもそも、
本当に、「病気」というものは、マイナスの経験でしょうか?
パニック発作という恐ろしい経験をすることは、マイナスですか?
パニック障害という病気になったことで、得たものはありませんか?
本当に、マイナスしかありませんか?
私は病気を経験することで、
たくさんの大切なことに気づくことができました。
体や心などについての知識も増えましたし、
薬や医療についての知識も増えました。
自分の体と心の限界がわかりました。
大事な人と大事でない人がわかりました。
すべて、パニック障害になったから、得られたものです。
治ったから言えるんじゃ?
というフォロワーの方の言葉は、
正しいといえば、正しいですが、
間違っているといえば、間違っています。
正確には、
『発想の転換』が出来たから、治った。
のです。
発想の転換が出来てから、
周りの現実が変わり始めました。
見える世界が変わるのです。
それこそ、経験したことがない方には理解するのが難しいかもしれませんが、
発想の転換によって、過去さえも変わるんです。
要は、考え方なんです。
パニック障害になったことは、
絶対に、マイナスではありません。
パニック障害になった経験を、
マイナスにするか、プラスにするかは、
『あなた』なのです。
心の病の人のことを、甘えてる!とか弱い!とか言う人がいますが、
私はどうしても、そうは思えません。
確かに、一部にはただ甘えているだけの人もいるとは思いますが、
基本的には、みなさん、頑張りすぎて疲れ果ててしまった・・・。
そんな方が多いように思います。
そもそも、
日本社会は、肉体的に頑張っている人への評価が高いように思います。
「汗水垂らして…」という言葉がありますが、
体を使って汗水垂らしている人に対しては、「頑張ってるね」などと声をかけるのですが、
心を使っている人に対しては、何も言いません。
心を使うというのは、気を遣ったり、気を配ったりしている人だと思うのですが、
もちろん、そうした人が評価される場合もありますが、
都合の良い人として、利用されて終わる場合もあります。
そして、そうした優しい人が、我慢に我慢を重ね、疲れ果てて、心が病んでしまったのだと私は思います。
そうした人は、子供の頃から、
自分の意志を抑え込んで、周りの顔色をうかがって生きてきたタイプの方が多いように思います。
要は、
自分よりも、周りに気を遣ってきたら、
自分の中の「気」が枯渇してしまった。
そんな感じだと思います。
まずは、自分の中に気(エネルギー)を溜めることです。
そのためには、とりあえず、寝ることをおすすめします。
まずは寝て、最低限のエネルギーを確保したら、
次は、ありのままを受け止めてくれる人を見つけましょう!
ありのままを受け止めてくれる人とは、否定したり説教したりしてこない人です。
否定されたり、説教されたりすることも大切ですが、
心が病んでいる時は無用です。
だいぶ回復してきて、最後の一歩に叱咤激励してもらうことは重要ですが、
心が疲れ果てている時に、叱咤激励は必要ありません。
足が骨折している時に、
「立ち上がれ!走れ! そんなんでどうする!甘えだ!」
なんて言う人のそばにずっといたら、疲れてしまいます。
厳しいことを言ってくれる人も、時には必要です。
ただ、
今は、その時では、ありません。
真面目なあなたのことですから、
甘えているのではないか? 迷惑をかけているのではないか?
そんなことを考えてしまうかもしれません。
いいんです!
とにかく、今は、心を休めましょう。
元気になれば、いくらでも、自分にムチを打つことができます。
それまでは、どうか、自分を大切に・・・。
よく、何か辛い話をした時に、
「え? 私はこうだったよ」
と、相手の辛さを受け止めることなしに、自分はもっとひどい目にあったことがある!と訴えてくる人っていますよね。
最近私が出会ったケースでは、
出産の際に、夫に病院に連れて行ってもらおうと思ったら、同居していた姑が「先にお風呂に入ってから行きなさい」と夫に言って(驚)、夫がお風呂から出るのを待って、病院に行くことになった。
という話をした女性がいました。
私だったら、「えーーーー!? ひどいね~」でいいと思うのですが、
一緒にいた年配の女性が、「私なんて、お産は病気じゃないからって姑に言われたから!」と言いました。
場の空気は静かになってしまい、最初に話した方もなんだかシュンとしてしまいました。
私は以前から、その年配の方は、当たりは柔らかいですがあまり優しくないと思っていましたので、やっぱりな・・・と思いましたが、なんだか最初に話した方が説教されたような雰囲気でかわいそうでした。
私は以前、肺炎で死にそうになったことがありまして・・・41.9度の熱が3日間くらい続き、本当にヤバイ状態だったのですが、もし目の前に風邪をひいて38度の熱の人がいたら、「大丈夫?」って言いますよ。
「私なんて、41.9度が~」 なんて言いません。
相手の辛さを受け止められない人と頻繁に接していると、こっちが衰弱していきます。
そういう人は、相手の嬉しいことも受け止められません。
良いニュースにも、「私だって、~~」と言ってきます。
人と人の関係は、共感がベースです。
「楽しいね」「楽しいね」
「嬉しいね」「嬉しいね」
「つらいね」「つらいね」
自分が楽しいか、嬉しいか、つらいかは関係ありません。
相手が楽しいのだから、相手の楽しいという気持ちを受け止めてあげる。
相手がつらいのだから、相手のつらいという気持ちを受け止めてあげる。
これが出来ないと、誰とも心の交流ができません。
言葉や雰囲気は優しくても、相手を常に否定している人というのは存在します。
そういう人の近くにいると、少しずつ少しずつ精神的に消耗していきます。
気をつけましょう!
次回は、8月5日(月)18時更新です。
最近、少し咳が出ます。
風邪をひいているわけではないので、どうしたのかなぁ~と思うのですが、コホコホしています。
パニック障害と闘う中で、病気は排毒作用という考え方と出会いました。
私たちは普通に生活していく中で、体の中に毒素が発生します。
毒素というとなんだかわかりづらいと言いますか、トンデモのような感じがしてしまうと思いますが、
便や尿、汗など、必要ない排泄物のことだと思って下さい。
こうした排泄物を排出しないほうが良いと思っている方はいないでしょう。
おそらく、心にも同じ作用があって、心の毒素を排出する必要があります。
心の毒素というのは、怒りや悲しみ、不安や不満、愚痴などなど。マイナスと思われていることです。
パニック障害や心の病の方のTweetを見ていると、こうしたマイナスの感情・心の毒素が存在するということを悪いことだと思っている方が多いです。
心の中に毒素のある自分を、どうして自分はこんなに弱いんだろう・・・とか、どうしてこんなにマイナス思考なんだろう・・・と責めている方が多いです。
よ~く考えてみて下さい。
お腹の中にウンチがあることを、どうして私のお腹にはウンチがあるんだろう・・・なんて思って自分を責める人間はいません。
では、どうして心の中に毒素がある自分を、責めてしまうようになったのでしょうか?
おそらく、成長してくるどこかの段階で、心に毒素があることを怒られた経験があるのではないでしょうか。
弱音を吐いた時怒られたとか、不満を言った時怒られたとか。。。
私は、怒りの感情を表現する時、よく怒られました。
子供の頃って、怒ったりすることがあると思うのですが、その度に「本当にアンタは我がままだ!」「このままでは将来、子供を虐待する母親になる!」と言われました。
真面目で頑張り屋だった私は、もう怒るのはやめよう!と思い、怒りの感情を表現するのを止めました。
もちろん、そうやって私に言う人物は、自分は怒ったりするわけですよ(笑)
そうしているうちに、怒るべき時(例えば、友達に文房具を取られたり、嫌がらせをされたり・・・)そうした時にも怒れない人間になってしまいました。
でも、怒りは感じます。
どんどん心の中に怒りが溜まっていってしまいました。
パニック発作は溜まりに溜まった怒りの感情が噴火のように暴発したのかな?と思ったことがあります。
心の中に心の毒素(怒り・悲しみ・不安・不満など)があることは当たり前のことで、悪いことではありません。
おねしょをしてしまったことを怒られたからといって、尿を排出してはいけない・尿が体の中にあってはいけないわけではないのと同じです。
適切に処理する方法を学べば良いだけです。
出来れば、人前ではしないようにしたほうが好感を得られるでしょう。
薬で止めるよりも、排出してしまったほうが体の中からは消えていきます。
具体的な方法は、またご紹介したいと思います。
次回は、7月1日(月)18時更新です。