「闘病」というと、字のごとく、病気と闘うような気がしますが、
結局は、自分との闘いだったと思います。
病気になった人が弱いとか、そういうことを言うつもりはまったくありませんが、
闘病というのは、弱い自分との闘いかな?と思ったりします。
病気になった最初の頃は、
病気になったら、病院に行く。
病気になったら、薬を飲む。
病気はお医者さんが治してくれる。
これが、当たり前だと思っていましたから、
私がやるべきことは、腕の良い医者を探すことだと思っていました。
でも、それは、違うんですよね。
お医者さんや薬の力を借りながら、
自分で自分の病気と闘っていく。
それが、闘病です。
それに気づくことができれば、治るのは早いと思います。
私の読者の方は若い方が多いので、まだ数年の闘病生活だと思いますが、
本気で闘病して下さい。
本気で病気と向き合えば、
必ず、何か見えてくると思います。
そうやって、少しずつ何かを掴んでいけば、
パニック発作は怖くなくなってきますし、
予期不安も少なくなって、
いつのまにか、パニック発作のことを忘れてしまうでしょう。
1日5分でもかまいません。
本気で病気と向き合いましょう。
今年の夏、突然めまいが起きて、急いで病院に行きました。
結局、耳からくるめまいとのことだったのですが、
「暑いと重くなる場合がある」
と、医師に言われました。
パニック障害にも、季節差があるかもしれません。
パニック発作が起こりやすい時期とそうでもない時期。
私はどちらかというと、冬がダメでした。
冬の電車の暖房は、本当に苦手でした。
今思い出しても、冬に倒れた記憶はたくさんありますが、
夏は意外とありません。
うつは春に重くなったり、
5月はうつっぽくなる人が多かったり、
日照時間が短い冬もうつっぽくなるなどと言いますよね。
パニック障害については、とりたててそうした話は聞きませんね。
個人差もあると思いますので、
自分のパニック発作はどんな時に起きやすいのだろう?
と分析してみると良いかもしれません。
悪い時期がわかってしまうと、予期不安が大きくなってしまう・・・。
という方もいるとは思うのですが、
パニック発作を乗り越えるには、
自分のパニック発作を分析するしかないと思います。
電車や歯医者、美容院など、
場所についての分析はたくさんあると思いますので、
季節についても、ぜひ、分析してみましょう!
自分で言うのもヘンですが・・・。
よく、こんなにブログに書くことがあるなぁ~と、自分で少し感心します(笑)
でも、よくよく考えると、それだけ一生懸命パニック障害と闘ってきたんですよね。
というか、結果的に一生懸命になってしまったわけです。
一生懸命を辞書で引くと、「命がけで事に当たること」と書いてあります。
そもそも、パニック発作が死ぬかもしれない!という恐怖と闘うわけですから、
結果として、命がけでパニック発作と闘うことになるわけです。
怖いですよね!
めちゃくちゃ怖いですよね!
私は闘病中、誰も理解してくれませんでしたが、
本当に怖かったです。
パニック発作というのは、脳の伝達物質が誤作動して、さまざまな症状を起こします。
動悸やめまい、吐き気など、身体面の症状もありますが、死ぬかもしれない!という精神的な症状がありますよね。
この「死ぬかもしれない!」という状況は、
本当に怖いと思います。
だって、
死ぬかもしれない! んですよ???
私は重症の時は、家から出ることができませんでした。
パニック発作が怖いというのもありますが、
「死ぬかもしれない!」という恐怖と闘うのに疲れ果ててしまっていたというかんじもします。
周りが理解してくれないことにも疲れていたかもしれません。
パニック障害や病気で、家でゆっくりしていたり、ゴロゴロしていると、怠けているように感じるとは思いますが、
一生懸命、パニック発作と闘っているのだと思います。
一生懸命取り組んだことというのは、
いつか必ず、結果が出るものだと私は思います。
少しずつ、ゆっくりと、です。
パニック障害の方は、長期間闘病している方が多いのではないでしょうか。
私も19歳での初めての発作から、病院に通い薬を服用するまで、約4年。
病院に通い、薬を服用していた期間が、約4年。
薬を飲んでいても治らない!と気づき、自分で勉強をしていたのが、約4年。
その後も、5年間くらい予期不安はありました。
発作はほとんどなくなって、予期不安もなく普通に外出できるようになってからも、
電車に乗って、ぼぉ~っと外を見ていたら、
突然、パニック発作を思い出し、発作が起きそうになったこともあります。
克服した後、一度だけ行った心療内科でその話をしたところ、
「脳が覚えているからね」
と医師に言われました。
パニック障害が長引いてしまう理由の一つに、
「予期不安」
があると思います。
突然パニック発作に襲われたことにより、
同じ状況、同じような状況の場面に遭遇すると、
「また、あの発作が起きたらどうしよう・・・」
「また、あの発作が起きるのでは???」
ひどくなると、
「また、あの発作が起きるかもしれまいから、あそこに行くのはやめよう!」
となってしまいます。
電車やバス、エレベーター、人ごみ、歯医者・・・。
いろんな場面に行くことができなくなって、家にひきこもるようになってしまいます。
パニック障害の克服とは、
パニック発作が起きないようにするのはもちろんですが、
予期不安に打ち勝つ!ということがとても重要ではないでしょうか。
そのためには、「認知行動療法」というものがあります。
こちらについては、後日、連載としてサイトにアップしたいと思います。
一番簡単な予期不安に打ち勝つ方法は、小指のマッサージです。
小指の爪より3ミリ下をマッサージします。
副交感神経が刺激されますので、交感神経の暴走であるパニック発作を抑えることが出来ます。
Twitterのフォロワーさんから、
「就活中にパニック障害を発症し、その後、どうやって自活までたどり着いたのか聞かせて下さい!」
という@を頂きました。
「就活が出来ないとなると、いくら療養しないといけないといっても、家族や周りの理解が無いと家でも肩身が狭いし追い詰められてしまいます。
他にも同じ時期に、同じような状況になる人がいるかもしれないので、聞かせて下さい」
とのことでした。
まったく、その通りですね。
以前、私は「病気の人の仕事は病気を治すことだから、堂々と昼間寝ていて下さい!」と書いたことがあります。
これは、私の経験から辿り着いた答えです。
私に初めてパニック発作が起きたのは、予備校に通うバスの中、19歳の夏でしたが、
その後重症化し、大学4年の春、就活中に一歩も家から出られなくなりました。
その状態になって初めて心療内科に行ったのですが、その後、約1年半家から出られない日々が続きます。
当然、美容院も行けませんから、髪の毛もものすごいことになりました(笑)
1年半経って、外に出られるようになった私は、すぐにアルバイトを始めました。
おそらく人間というものは、少しでも元気になると、外に出たい!と思いますし働きたい!と思うのだと思います。
1年半家から出られなかった時は、一度たりとも働かなくては・・・と思ったことはないのですが、外に出られるようになったらすぐにそう思うようになりました。
塾でのアルバイトを週4日始めたのですが、もちろん、パニック発作とヒステリー球を抱えたままのバイトです。
常に発作が起きるのではないか?という予期不安、実際のパニック発作。
結局、パキシルの副作用がひどくなり、アルバイトを続けることが体調的に困難になり辞めてしまいました。
その後、ルボックスを服用中に生死をさまよった経験から、薬を止めよう!と決意するのですが、
その時、闘病というものへの発想を転換しました。
自分としては経済的に自立していないことが後ろめたくて、何かしなくては!働かなくては!と思うのですが、
結局、病気が治らないと家族や周りに迷惑をかけることになるのです。
働いていたら、職場の人達にも迷惑がかかる。
だったら、まずは闘病に専念して、ちゃんと治してから働くことを考えたほうが良いのではないか?
実際、大学3年の時のアルバイトもパニック障害が理由で辞めていますし、大人になってからの塾のバイトもパニック障害が原因で辞めています。
だったら、やはり、パニック障害を治すことが先だろう!と。
そこからは、働かないということに開き直りました。
というのも、
働かなくちゃ!働いていない自分はダメな人間だ・・・、みんな頑張っているのに・・・。
そういうことを考えていると、ストレスが抜けないのでなかなか治らないのです。
自分でも自分の中に溜まってしまっているストレスがどのくらいの量なのかということは感覚としてわかっていましたから、
これを抜かない限り治癒はない。そう思い、まずは、ダラダラすることを自分の仕事としました。
それが、当時26歳の時でしたから、親の目・近所の目・友達の目、さまざまな目が冷たかったですが、とにかく治したい!の一心でやり通しました。
実際、「何してんの?」「堕ちるとこまで堕ちたね。」なんて言ってくる友人もいましたが、無視しました。
パニック障害を治す!
それが今の私にとって第一のやるべきことであり、そのためにダラダラしたり昼間寝ていたりするのは、立派な仕事である。
そう自分に言い聞かせました。
イヤな思いはたくさんしましたよ。
世間というものは人の事情に理解なんて示してはくれませんし、身近な家族は厄介者のような目で見てきます。
友人だって、離れていく人は離れていきます。
でも、
今、パニック障害を治さなかったら、いつまで経っても普通の生活が手に入らない。。。
そう思ったんです。
やるしかない。
結局、26歳で半年くらいダラダラした後、またアルバイトを始めました。
その後は、パニック障害を抱えながら週4日アルバイトをして、バイト以外の時間は病気や健康に関する本を山のように読み、バイト代でさまざまな代替療法を試し、パニック障害と闘いました。
この頃は、もう、薬は飲まない!精神科には行かない!と決めていましたので、逆に、家族や世間や友人の目は冷たかったです。
病院に通っていれば、一応、病人扱いしてもらえますからね。
病院に行っていないということは治ったということだ。と思う人は多いです。
もう病院に行かなくていいようになったのに、いい歳してフルタイムでは働かず、バイト代は整体やマッサージやアロマなんかに使っているろくでもない娘だ。
そういう風に思われていたと思います。家族にも、親戚にも、近所の人にも、友人にも。。。
その後、闘病中の生活を知っている大学時代の彼から、
「家で毎日寝ているだけでもいいから、結婚しよう!」と言われ、結婚しました。
最初の3年間くらいは、まだ体調が悪く、本当に毎日寝ていました(笑)
朝、夫を送り出してからまた寝て、夕方18時に起き、夕飯だけ作る。
パニック発作はほとんどもうなくなっていましたが、予期不安が強かったのと、うつなのか薬の離脱症状なのかわかりませんが、とにかく体が思うようには動きませんでした。
夫に対して、よく私なんかと結婚したなぁ~と思うのですが、夫は、
「未来は、20代に普通の人が働いているのと同じように、パニック障害という病気と闘っていたんだから、何もしていなかったわけではない。
いつか必ず、その経験と学んだことが、世の中の人の役に立つ時が来るんだから、働けなかったことを恥じることはない。
いつか必ず、社会の役に立つ時が来るんだから」
そう言ってくれています。
私もそう思って、今、このブログを運営しています。
自活へのお話を聞きたいとのことでしたので、完璧に経済的に自立しているわけではないので、参考にならず申し訳ないのですが・・・。
病気を通して、夫を通して、私が学んだことは、
人生は、画一的ではない。みんなと同じことをする必要はない。
若い頃は、学校を卒業して、会社に就職して、結婚して、子供を産んで・・・。
それが人生だと思っていましたし、そこから外れたら、もう人生は終わりだ・・・と思っていました。
でも、今、私が思うのは、
その時、その時、自分に与えられた課題を精一杯に頑張っていれば、道は必ず開く。
周りの人から見て、怠けているように見えたりサボっているように見えたりしたとしても、自分にとってそれが努力ならば、それは努力である。
そして、
一生懸命やっていれば、必ず理解してくれる人は現れるし、応援してくれる人・手を差し伸べてくれる人は現れる。
私を何度も何度も励ましてくれた歌です。
根の歌 コーラス・ジャパン