基本的に、心の問題を考える時、私はコップを思い浮かべます。
心の中にコップがあるとします。
そのコップの中に入っている水が愛情です。
100ccのコップとして、
80cc入っていれば、元気に明るく前向きに暮らせます。
60ccくらいだと、少し精神的にアンバランスになっているかもしれません。でも、まだ頑張れます。
40ccになると、体調が悪くなります。考え方は後ろ向き、マイナス思考になります。
20ccになると、自殺を考え始めます。
私たちは、心のコップの中の水を分け与えながら生きています。
こんにちは!と笑顔で挨拶する時、自分のコップの水を少しだけ相手に分け注いでいます。
相手がこんにちは!と返してくれた時、相手からコップの水を少しだけもらうことができます。
このバランスがとれていれば、コップの中の水が枯渇することはないと思いますが、世の中には人のコップの水を奪うだけの人間がいます。
基本的に、誰からも愛されなかった人間というのはこの世に存在しないと私は思います。
もし、本当に誰からも愛されなかった(誰からもコップに水を貰えなかった)としたら、今日まで生きてこれなかったと思うのです。
赤ちゃんの頃世話をしてくれた人をはじめとして、たくさんの人達から心のコップに水を貰ったはずなのです。
では、なぜ、自分は誰からも愛されてはいない・・・と考えてしまうのか。
それは、人の心のコップから大量に水を盗む人がいるからではないか?と私は思います。
いますよね、そういう人。
もちろん、その人の心のコップも水は枯渇していますから、その人も必死です。
残量によって必要とする量が違いますから、残量70ccの人は少し休んで友達や家族と馬鹿話でもすればすぐに80ccになるかもしれませんが、残量20ccの人は大変です。
100人から貰った愛情が、たった一人からのいじめで消えてしまう時。
それは、ものすごく愛情に飢えた人に、心のコップの中の水を大量に盗まれた時かもしれません。
一生懸命働いてお金を稼いだとしても、横から根こそぎ盗んでいく人がいたら・・・お金はなくなって、自分も困窮してしまいますよね。
あなたの心のコップの水が減ってしまっているのは、自分で使っているからですか?
それとも・・・・・・。
次回は、5月13日(月)18時更新です。
by タマネギマ
私も、決して友人に恵まれていないわけではないと思うのですが、やはりパワハラで受けた傷、とりわけ職場の50代の男性への不信感はいまだに拭いきれません。
自分の味方の方が多いというのは客観的にわかっているのですが、大所帯の職場の朝礼で、全く私に非がないことでいいがかりをつけられて名指しで罵倒させられたり、会議室に呼び出されて長時間にわたる人格否定を何度もされるのは、親兄弟や友達に味方がいても、物理的にそういう理不尽な上司と離れる以外、これ以上傷つかないようにするすべはなかったように思います。
個人的にはそういう人とは精神的距離を置くしかないのかもしれませんが、集団としては、理不尽な人権侵害(いじめ、パワハラ、モラハラなど)をさせない雰囲気を、作って行くことも必要ではないかと思います。
一番そういうことに今比較的積極的なのが体罰問題が表面化した教育界だと思いますが、親や先生の間にもそういう問題があるというのも、なんとかしないといけませんよね。
2013年5月7日 20:37
by 未来@パニック障害を克服!
タマネギマさん。こんにちは。
ほんと、おかしな人っていますよね。
私も先日、タクシーの乗ったら、降車する際に運転手にグダグダ説教をされて嫌な思いをしました。
客に対してもそんな態度ですから、自分の部下や身内にはどんな態度をとっているんだろう・・・と
心配になります。
私は、そういう人を「精神的通り魔」と思っているのですが、やはり、逃げるしかないですね。
肉体的な暴力からは逃げるように、精神的暴力からも逃げて良いと思いますよ!
我慢も大事ですが、逃げることも同じくらいに大事です。
2013年5月9日 10:25