予備校に向かうバスの中で初めてのパニック発作に襲われた私が進学したのは、心理学科でした。
私が10歳の頃。
大人の世界ではバブルというものが起き、
土地や不動産・株の値段に一喜一憂するおじさんや、ボディコンを着てディスコで踊っているお姉さんの姿がテレビに毎日映し出されました。
前後するとは思いますが、同じ頃。
「女性の社会進出」ということが、マスコミによって全面的にアナウンスされ、
それまで専業主婦だった母親や近所のお母さんたちも、パートやお勤めに出るようになりました。
父は仕事で忙しく、母もパートでいない空っぽになった家の中で、当時10歳だった私は、
20年後、自分が30歳になる将来、
この国から、「お母さん」「家庭」というものがなくなってしまうのではないか?
と、強烈な不安を覚えました。
「お母さん」なんだから、家にいろ!
そういう古臭いことが言いたいわけではありません。
当時、10歳の私にとって、
「お母さん」とは、子供や家族に、心の栄養を与える人
外から食料を獲得してくるのが、お父さんだとしたら、
それを食事に変換するのが、お母さん。
食料⇒食事に変換する過程で、プラスされるのが、心
そう考えた私は、
将来は、
心の栄養を与える人になりたい!!!
そう思いました。
大きくなったら心理学を勉強しよう! 漠然とですが、10歳の私はそう決意しました。
浪人中に発病してしまいましたので、
受験勉強も大学での勉強も、何一つ満足には出来ませんでした。
重症化し、就職活動中に家から一歩も出られなくなってしまったので、
一般企業への就職も出来ませんでした。
闘病中は、塾講師と家庭教師のアルバイトをしていました。
ただ、ひとつ。
どんな時も、絶対に忘れなかったのは、
10歳の時決意した、
心の栄養を与える人になりたい!!!
という夢です。
2012年夏、
アメブロとTwitterで情報発信を始めて、たくさんの方がパニック障害に苦しんでいるということがわかりました。
私が病気と闘っている間、最も欲したのは、
医師でもカウンセラーでもなく、パニック発作の怖さを実体験として経験している人、そしてあの恐怖を乗り越えパニック障害を克服した人でした。
自分に何が出来るかわかりませんが、
昔の自分と同じように、今苦しんでいる方の心が少しでも軽やかになりますように・・・。
このブログが、
子供の頃からの夢のはじまりだと思っています。